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《日本古典への招待》万葉集 後半講座 第8回~第15回

《日本古典への招待》万葉集 後半講座 第8回~第15回

 『万葉集』は、現存するわが国最古の歌集で、20巻からなり、約4500首ほどの和歌が収められています。いまから1300年ほど前に作られたとされます。

 『万葉集』には、奈良時代の宮廷文化を背景とする世界が展開されています。当時の宮廷文化は、私たちが想像する以上に高度な洗練を見せており、また時として猥雑さを帯びていたりもします。言い換えるなら、実に多様なありかたをうかがうことができます。

 この講座では、まずは『万葉集』の概要についてお話をし、その上で、時代の流れに沿いつつ、主要な歌人の作に焦点を当ててみたいと思っております。この講座を御視聴いただくことで、『万葉集』の世界の全容を理解していただけるはずです。

前半講座はこちら

 

ダイジェスト動画

 

セット講座

  • 第8回 大伴旅人

  • 第9回 山上憶良①

  • 第10回 山上憶良②

  • 第11回 東歌と防人歌

  • 第12回 『万葉集』の和歌の本質 巻一六から

  • 第13回 大伴家持①

  • 第14回 大伴家持②

  • 第15回 大伴家持③

全セット ¥13,200円

講師

(国文学者・東京大学名誉教授)

東京大学大学院修了。博士(文学)。千葉大学助教授、東京大学教授、放送大学客員教授、二松学舎大学特別招聘教授等を歴任。日本古代文学、日本古代文化論専攻。著書に、『日本霊異記』(全3冊、ちくま学芸文庫)、『万葉集全解』(全7冊、筑摩書房)、『古代文学の世界像』(岩波書店)、『柿本人麻呂』(人物叢書、吉川弘文館)、『古事記私解ⅠⅡ』(花鳥社)、『万葉樵話』(筑摩書房)などがある。古代の人びとの背後にある世界像の追求と表現史の構築を目指す。

注意事項

※本動画は、ストリーム配信によるオンデマンド講座です。受講生の皆様は、購入時にご案内する動画URLにアクセスし、バスワードを入力してご視聴ください。

※パスワード等は、PDF形式のファイルにて配布いたします。

※視聴期間は、視聴期間は2024年10月1日~2025年3月31日まで。

 

内容紹介

第8回 大伴旅人
 大伴旅人は、『万葉集』の編纂者でもある家持の父です。大伴氏は、代々武門の家柄として知られる名族でしたが、旅人の時代には、新たに擡頭した藤原氏の勢力に押され、その晩年には、大宰帥として九州の地に追いやられます。旅人は、そのわが身のありようを、どこか韜晦するかのように、漢詩文の知識を背景とする脱俗的な風流の世界に沈潜します。そうした旅人のありようを、「松浦川に遊ぶ歌」「酒を讃むる歌」などを通じてながめていきます。

第9回 山上憶良①
 山上憶良は、和歌の表現の可能性を大きく拡げた歌人です。憶良は、社会の実相を深く見つめ、最晩年には己の病と死を見据えるような歌を残しています。それは、和歌の世界に「思想」を導き入れることでもありました。その背後には、豊かな漢詩文の知識、仏教へのつよい関心があります。ここでは筑前守として九州の地に赴任して以降の作、「子らを思ふ歌」を含む「嘉摩郡三部作」、「貧窮問答歌」を中心にお話しします。

第10回 山上憶良②
 憶良は、和歌の表現の可能性を拡げましたが、それに飽き足らず、散文(漢文)を用いることで、己の思索をさらに深めようとします。とりわけ、己の病の原因がどこにあるのかを、徹底的に追求しようとします。一方、憶良は、儒教的な倫理観を絶えず持ち続けた人物でした。ここでは、そうした憶良の散文の作、あるいは辞世の歌などを取り上げ、さらには、憶良の到達点も評しうる「古日の歌」を詳しくながめることで、その人物の全容に迫りたいと思います。

第11回 東歌と防人歌
 『万葉集』には、巻一四に東歌が、巻一六に防人歌が収められています。どちらも東国の庶民たちの歌になります。それを根拠に、『万葉集』は、上は天皇から下は庶民に及ぶ国民歌集だとする理解もあります。しかし、それは誤りであり、どちらの存在も『万葉集』を宮廷歌集と見ることとは、少しも矛盾しないことを述べていきます。ただし、東歌と防人歌には、大きな違いもあります。東国とはどのような世界であったのかも含めて、詳しく見ていきます。

第12回 『万葉集』の和歌の本質 巻一六から
 『万葉集』の巻一六は、きわめて特異な巻です。全体は三つの部分に分かれますが、ここでは宴の場を背景にもつ戯笑歌の部分を取り上げます。ここに収められた歌は、『万葉集』の一般の歌とはかなり性格を異にしており、非万葉あるいは反万葉を志向する歌として捉えることができます。それゆえ、それらの歌の表現を仔細に検証することは、『万葉集』の和歌の本質がどこにあったのかを明らかにすることにもつながります。

第13回 大伴家持①
 大伴家持は、『万葉集』の編纂に深くかかわった人物です。『万葉集』の末尾四巻を「家持の歌日誌」とする見方もあります。『万葉集』の一割強ほどの歌が、家持の歌でありました。以下、三回に分けて家持について見ていきますが、今回は、その青春時代、家持がとりわけ深く関わった女性、紀女郎とのやりとりをながめていきます。お互いが、倒錯した関係を演技として楽しんでいること、そこに天平期の爛熟した貴族文化の一端がうかがえることを指摘します。

第14回 大伴家持②
 大伴家持は、天平一八年(七四六)、越中守となります。以後、満五年をこの越中で過ごすことになります。越中は北国ですから、奈良の都とは風土を大きく異にします。その異質な風土に触れる中で、さまざまな発見がありました。みやびの世界からながめた鄙の世界の発見があり、また同時にみやびの価値の新たな発見、つまり再認識がありました。ここでは、その様相を「立山の賦」「越中秀吟」などの作を通じて、ながめてみたいと思います。

第15回 大伴家持③
 天平勝宝三年(七五一)、大伴家持は越中守の任を終え、都に戻ります。藤原仲麻呂が権勢を掌握する中、大伴氏のような守旧派は、徐々に窮地に追い込まれていきます。そこで詠まれた歌が、家持の最高傑作とされる「春愁三首」です。家持はさらに、大伴氏一族の結束を訴え、聖武天皇の御代への懐旧の思いを募らせたりもします。しかし、橘奈良麻呂の変の後、家持は因幡守に左遷されることになります。そこで詠まれたのが、『万葉集』の最後の歌になります。